久しぶりにブログを書きます。
プライベートでは色んな事が起きていて、ブログに書ききれないほどの体験と、それを通しての自分自身が深まっていく感じがありました。
ブログにする時間がなかった時と、言葉にならなかった時を超えて、今やっと少しずつ表現していきたいと感じています。
二か月前に主人が旅立ちました。
癌であることは以前のブログでもお話ししました。
昨年5月に病気が発覚し、3か月~半年の余命と言われましたが10か月間生きて今年の3月3日に息を引き取りました。
この間のことを書くと切りがないのですが、彼と一緒に同じ方向を向いて生きたこの10か月間はかけがえのない宝物の時間となりました。
毎週通う病院の時間、治療をどのように行っていくかの判断、日常生活が恐ろしいスピードで壊れていく感覚。
色んな局面を見せられました。
歩けていたのに、車椅子になり、次第には車椅子にすら乗れなくなり、ベッドで身体を起こしていたのに、身体が自分の力では起き上がれなくなり、僅か10か月の間の変化に私の心は付いていかず恐怖と不安を持ちながら、それでも彼の身の回りの世話を忙しくして、心がどこかに行ってしまったような感覚になっていました。
最後まで自宅で過ごすことを私も彼も望んでいたので、緩和ケアも自宅で行い息を引き取るまで私と一緒に居ました。
訪問看護師さんを初め多くに医療従事者の方々のサポートがあったから自宅で最後まで看ることができました。
自宅で看たくても看れない方も多いでしょうから、それができたのは周りのお陰としか言えません。
そして、私はこの介護をすることでたくさんのギフトを彼から貰いました。
もちろん、一人で彼を看ていくのですから体力も精神力も大変でした。夜は彼の世話をするためソファーでの仮眠で数時間おきに起きなきゃならないし、3度の食事も体調の合わせて食べれるものを味や見た目に変化をつける工夫が必要だし、身の回りのお世話も事細かにあり、ゆっくりできないのが現状でした。
でも、そうやって彼を最後まで看てあげることが、私が今まで持っていた罪悪感を軽くしてくれるチャンスのように思えたのです。
今まで私は離婚を繰り返し、子供も手放し、家族と云うものを放棄ばかりしてきて、それに対する罪悪感を持っていたのです。
すべては起きているだけと分かりながらも、私の思考は放棄ばかりしている自分を責める気持ちは拭えませんでした。
そして今回、主人の介護は私の罪悪感を軽減させてくれるチャンスだったのです。
主人が私に介護をさせてすまないと言ったことがありました。その時、私は彼に「これはあなたから貰ったギフトだっよ」と伝えたのです。
その時、二人の空気は変わり助け合いながら生きている素直なエネルギーが流れたように感じます。
宇宙は私に罪悪感を手放すチャンスをくれたし、彼に対しては素直に甘えるチャンスをくれたのだと思います。
宇宙はやっぱり必要なギフトを最善な方法で与えてくれるのだと感じた経験です。
彼の闘病中、面白いほどの奇跡的な体験をしています。
全部仕組まれたように上手くはまっていく感じです。
彼が居なくなって二か月ですが、しっかりと終わった感じがしています。
彼がいない家にいると恋しさがありますが、私も彼も十分に生き切ったと云う充足感があるのです。
この体験を通して、私のプロセスはまた深まって何か吹っ切れたように感じています。
全てがこのままでいい感じ。
悲しみや苦しみと一緒に愛も同じぐらい受け取った感じ。
彼が亡くなったことで書きたいことはたくさんあるけど、
まずは今日はこの辺で。
主人に愛と感謝を込めて届けます。