私のブログにようこそ。
常々思うのですが、「私が体験している世界って何だろう」と考えることがあります。
朝起きて、仕事をして、家の中を整えて、人と会ったり、メールでやり取りをしたり、買い物をしたり…。
と、日々は流れていきます。
もっと忙しく過ごしている人も多いと思いますが、私の日常はこんな風にのんびりと過ぎていきます。
今も、ジャズが流れる中でブログを書きながら、庭からは鳥たちのさえずりが聞こえ、足元では愛犬の小太郎(フレンチブルドッグ)が気持ちよさそうに寝ています。
私は今、無数の音を聞き、指先にはキーボードの感触を感じ、足には小太郎の温かさを感じています。
お尻には椅子の重みが伝わり、身体の中では胃が少し重たく、肌には心地よい風が触れています。
――世界はただそれだけ。
もしそこに感情を添えるなら、「心地よい時間」です。
けれど、そこに思考を加えると、途端に世界が動き始めます。
「今日は暇で仕事がないけど、これで大丈夫かな…」
「仕事を増やすために、何かSNSで発信したほうがいいのかな…」
「昨日送ったメールの返信がないけど、何か気分を害したのかな…」
そんなふうに、無数の世界が頭の中で広がっていくのです。
本当は、体験している世界はただそれだけのシンプルなものなのに、
思考がワチャワチャと動き出し、その世界に色を塗り、意味を与え、ストーリーを作り出していきます。
私たちは、宇宙エネルギーという全体性の中で、身体が自動的に動き、出来事がただ起こっているだけ。
そこに理由はなく、ただ「そうなっている」だけなんだけど、
私たちは、そこに理由を付けて、意味を見出し、物語の世界を生み出しています。
思考(自我)の「善し悪し」と、身体の「快・不快」をごちゃ混ぜにして、
私たちは動きづらい世界を自分で作り出してしまいます。
本当は何もない世界なのに、あたかもその世界の住人であるかのように勘違いしてしまうのです。
この世界に「ある」ものは、身体の快・不快。
この世界に「ない」ものは、思考が創りだしている善し悪し。
快・不快を指針に「今」を感じていれば、世界は自然と心地よい方へと流れていきます。
けれど、善し悪しを基準に動こうとすると、抵抗とコントロールの世界を体験することになります。
世界は本来自動で動いているのに、その流れに抗うエネルギーが生まれる――それが「心地悪い体験(思い)」を生み出しているのです。
それゆえ、意識のあり方によって世界は変わり、見え方は人それぞれ異なります。
本来、私たちにあるのは「今この瞬間」の体験だけ。
とてもシンプルな世界です。
そして私たちは、物質としてこの世界を体験する生き物。
快・不快という身体の感覚を通して、宇宙エネルギーの流れに乗り、
全体性の中で「今」を生きています。
このことに立ち戻ると、あなた自身が作り上げてきた“世界の檻”から抜け出すことができます。
それが、物質世界(二元)を体験する本当の豊かさです。
思考で余計な心配をせず、身体の感覚を頼りに暮らしてみてください。
シンプルな世界が、そこから始まりますよ。
思考の世界を少し離れて、身体の感じる「今」に戻ること。
それが、あなた本来のリズムと世界を取り戻す一歩です。
あなたの世界がよりシンプルで、心地よさと一緒に居られますように。

