未来が少し不安なあなたへ― 一周忌を迎えて思うこと ―

こんにちは。私のブログにようこそ。

昨日、3月3日は主人の一周忌でした。
一年という時間は、正直に言えば、「まだ一年しか経っていないのか」という感覚があります。
それほど私にとって大きな変容のプロセスが起こっていたように思います。

この一年、彼のいない四季を、私はひとつずつ通り抜けてきました。

春には花壇を整え、害虫の準備をし、夏には汗を流しながら草をむしり、
秋には落ち葉を集め、梅や柿を収穫し、木々に触れながら季節の手入れをしてきました。

以前は、どこかで彼に任せ、頼り、寄りかかっていた日常。
この一年で一番大きく変わったのは、「依存していた暮らし」から「自立した暮らし」へと
静かに舵を切ったことかもしれません。

不思議なことに、彼が生きていた頃よりも、今のほうが「生きる」ということを丁寧にしています。
それは、どこか“グランディング”という言葉がぴったりくる感覚です。
自分の生き方を実感しながら責任もって生きている。

彼が亡くなる前、私はとても怖かったです。
この人がいなくなったらどうなるのだろう。ひとりで生きていけるのだろうか。
想像できない未来は、「不安」や「恐怖」という形になり私はそれに巻き込まれます。

けれど実際にその時を迎えたとき、そこにあったのは恐怖ではありませんでした。
ただ、その瞬間の自分がいて、その瞬間を生きているという事実だけです。

人は、実際に体験している“今”の中では、案外、淡々としていられるのかもしれません。
もちろん、思い出に引き戻され、悲しみを感じる時間もあります。
でもそれは、未来への恐怖ではなく、一緒に過ごした彼への愛の“切なさ”。
痛みはあっても、空想の恐怖のような輪郭のないものではありません。

不安や恐怖は、いつも未来にあります。
まだ起きていない出来事を、頭の中で何度も再生しているときに生まれます。
未来とは、まだ形のない想像の世界。
「今」には、不安はありません。
あるのは、今体験しているソレそのものだけ。

不安は、未知の世界に足を踏み出す前の興奮のエネルギーとも言われます。
それを私たちは「怖い」と呼んでいるだけなのかもしれません。

もし、不安が、“これから何かを体験する前の興奮”だとしたら――
少しだけ、可愛らしく見えてきませんか?

誰にでも不安は起こります。未来は、いつだって未知です。
でも大丈夫。
その未来が「今」になったとき、そこにいるのは、ちゃんとそれを体験できるあなたです。
私がそうであったように。

不安は、頭の中の想像にしか存在しません。
その時になれば、その時の自分が、必要なことを体験しながら進んでいきます。
私たちは皆、出来事の“被害者”ではなく、人生の“体験者”なのですから。

そして最近、そんな自分の体験も踏まえて
同じように不安や悲しみを抱えながらも、
「それでも自分の足で立って生きたい」と思っている方と
ゆっくりお話する時間を持ちたいと感じるようになりました。

悲しみのこと。
不安のこと。
一人で抱えていると重たくなることも、
言葉にしてみると、少し軽くなることがあります。
お話会では、正解を探すのではなく、それぞれの体験をそのまま持ち寄る時間にしたいと思っています。

必要な方に、届きますように。




次回の【目覚めと癒しのためにお話会】は
4月26日(日)13:15~16:00 
墨田区Big Ship2階 
参加費6,000円

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この記事を書いた人

ゲシュタルトワークショップや表現アートセラピーを使っったワークショップを開催。心理学と非二元の真理を使いながら『毎日を安心して暮らしていく自分を創る』をテーマに活動している。
ゲシュタルト療法においては、現在は日本ゲシュタルト療法学会の理事として、ファシリテーター育成委員と研修委員を務める。

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