幻想世界の始まりは…

こんにちは。私のブログにお越しくださりありがとうございます。
先日、突然、名古屋在住の母が遊びに来ました。
母は現在83歳、まだ一人で元気に暮らしています。 有難い事です(*^^*)

急に何を思い立ったのか、連絡があり「明日、そっちに行くけどいい?」って…。
どうぞ…、って事で新幹線に乗って鹿嶋まで遊びに来ました。

来た理由は、私の家の最寄り駅を通っているローカル線に乗りたいと。
その電車はワンマン電車で”鹿島臨海鉄道大洗鹿嶋線”と云う、単線の電車。
切符は車掌さんが車内販売する、なんとも昭和時代に戻るような車内。



お昼間は2時間に一本しかない電車で、鹿島神宮駅と水戸を繋いでいます。
真っすぐに一本延びる線路は木々の緑の中を走り、湖の脇を走り、田園の中を走り、景色の良さでも
有名でテレビで取り上げらています。
その番組を観た母は、すぐに乗りたくなったそうです。



車窓から見る景色は、ちょうど山桜が満開で線路は桜の脇を通り、
それを見ている母は子供のように、電車の進路が見える窓側に立ち、その景色に見入っていました。
その母の後ろ姿を見ていると、以前はあれほど「嫌い」としか思えなかった母の面影はなくなり
好きも嫌いもない、単に私の人生にかかわっている『かけがえのない人』として見えています。

自分の心の中を丁寧に感じてみても「好き」や「いとおしい」という、感情は感じられないので、
やっぱり単に『かけがえのない、私の人生に影響を与えた人』なのでしょうね。

カウンセリングをしていると、多くの人が母親との関係で傷つき体験や、
寂しさを抱えた体験などしています。
母親の事を「嫌い」と言い放つ事で、自分の寂しさや虚しさに蓋をしている人もいます。

お母さんが「好き」だけど、好きと云っても受け取ってもらえず、甘えたくても甘えさせてもらえず、
それなら、一層「嫌い」と云った方が期待をしないし、自分が傷つかないよう心を守ることができます。
また、お母さんに愛されたいから、お母さんを困らせないように振舞い、いつしか、自分の本当の心とお母さんを喜ばせたい心が対立して、自己犠牲を覚えたりすることもあります。


大いなるものから分離して、現象の世界『色』の世界に産まれてくると、身体と云う生命体の欲求が始まります。
生命体の欲求には二つあります。

一つは生理的欲求。
もう一つは精神的欲求です。

生理的欲求とは、身体的なバランスを取るための欲求です。
例えば、お腹が空けば身体を満たすことが必要になります。
精神的欲求では、心のバランスを取るための欲求で、
心を満たすために社会とのコンタクト(繋がり)が必要となります。


身体(生命体)は命を守るために、常に外側に必要とするものを求めにいきます。
それが、最初は母親からの「愛」であり、身体を満たす食事や排出のお世話なのです。
だから、自分が母親像をイメージして、そのような母(お世話役)を期待してしまい、
その自分の欲求に合わないことで心のストレスを大きくさせています。

分離の世界を体験している自我は、そこから、母親との関係性にストーリーを創っていきます
その記憶から、大人になっても心の底にストレスをもったまま生きている人の多くいらっしゃいますよね。



私もその一人でした。
しかし、お陰様で私はゲシュタルトセラピーで何度も母との関係を扱う事で、
自分の中にある『期待』や『欲求』を手放してきたように思います。
そして、その結果、今は母親と云う存在に妄想を作らず、ただその人自身のありのままを見ることが
出来るようになり、「嫌い」と云うストーリーの苦しみから抜け出すことができました。



ワンマン電車に一時間揺られ、またそのまま帰りの電車に乗り、一時間揺られ。
春の日差しにウトウトしながら、のんびりローカル電車散歩の穏やかな一日。
これもまた幻想の夢の中であり、そして、『色』の世界を楽しむ時間でもありますよね。

今は「こんな時間をありがとう」と思うのです。

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この記事を書いた人

ゲシュタルトワークショップや表現アートセラピーを使っったワークショップを開催。心理学と非二元の真理を使いながら『毎日を安心して暮らしていく自分を創る』をテーマに活動している。
ゲシュタルト療法においては、現在は日本ゲシュタルト療法学会の理事として、ファシリテーター育成委員と研修委員を務める。

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