セルフワークの備忘録 『身体が覚えていた 怖いよ~』

こんにちは。私のブログにようこそ。
昨日、自分の中に滞っていたエネルギーを解放したセルフワークをしたので
その備忘録てして、ブログに書いておこうと思います。

私は自分の思い込みや痛みを何年も癒し解放して、昔よりも自分自身を大切にすることが
出来るようになっているし、人の評価も気にしないようになっていました。
(この、気にしないように…って云うのが曲者ですが…💦 苦笑)

だけども、身体の奥底で何かが気になっている感覚が残っていたのです。
思考や表層意識では、評価や人の目は気にならないとか、気にしないようにとか、分かってるけれど
時々、ふと人の言動が気になったり、心の引っかかっていたりしていました。

そんな時、意識では「関係ない」って追い払うのですが、どうも心がざわつく感じです。
どこかで他人の言動や顔色を伺っている感じ😢
自分を信頼していない感じ。他者の顔色を見て合わせた方がいい感じ😑
それが、身体の芯に残っている感じがあり心地悪さがありました。

それで、その日はそんなザワつきがあったので、
お風呂に入りながら心地悪さと一緒にいるようにしてみたのです。


そしたら、胸がキューンと締め付けられる感覚が湧いてきました。
その、締め付けられる感覚と一緒にいると、今度は周りを警戒しているような怖さを感じます。
その怖さと、ただ一緒にいると、その警戒している感覚から母と一緒にいる時を思い出したのです。
子供の頃、母に怒鳴られること、殴られることが多く、
いつも母の行動を息を飲むように見ていた自分が出てきました

母が仕事から帰ってくる自転車のブレーキの音
ドアを開ける音、そのドアの開けた方で今日は殴られるかどうかが分かる感覚
母が家の中で動いている様子
母の足音が大きくドタドタとする時は、殴られる時

それらを怯えながら観察し、自分が身の危険に晒されていたのを体感覚で思い出したのです。
今まで何度も母についてワークはしてきましたが、今回は更に忘れていたもっと深い身体の感覚から思い出したようです。
それは、自律神経の緊張を自分で捉える事が出来て身体からの記憶が蘇ったのだと思います。
それとも、今だからやっとこの痛みや恐怖を感じている自分に出会えたのかも知れません。

周りを警戒して怯えている自分の感覚は、鉄の扉の覗き窓から外を見て息を潜めているイメージがされました。
覗き窓から外を覗き、何が起こっているのかを息を凝らして探っている状態。
緊張で身体の芯がキューンと固くなっている感じ。
これは、まさに今でも自分がやってる感覚です。 
人間関係の中で時々、人の行動を見て不安になる感覚です。


私はその自分と出逢って、涙が溢れました。
あの時、こんなにも怖かったのだと…。 


押さえつけられていたエネルギーが身体の芯から出て体中を震わしています。
お風呂の湯船に浸かり、私は大泣きしました。 
口からそのエネルギーが出ていくかのように、口を大きく開けて顔をクチャクチャにしながら号泣しました。
誰もいないお風呂は、安心して自分を感じて泣くことが出来る場所です。


身体からエネルギーか解放されるまで十分に時間を取って、自分を泣かせてあげました。

「怖かったよ~」 と、感情の私 
「怖かったね」 と、大人の私が寄り添います。

「怖かったよ~」「怖かったね」
「怖かったよ~」「怖かったね」
「怖かったよ~」「怖かっね」…。 
  

何度も繰り返されます。
そして、自分で自分をハグします。


そして、やっと感情が落ち着いてきたところで、大人の私が、その怯えていた子供の私を抱き上げ
鉄の扉の覗き窓の場所から救い出してくれました。
これは、イメージが勝手に浮かんでくる映像です。

”抱きかかえられた子供の私” と ”抱きかかえている大人の私” どちらにも意識が在る感覚。
その抱きかかえられた私と抱いている私は、その場から歩き出して草原のような場所に出ました。



そこは太陽が降り注いていて、草や野花が咲き広々とした光景が広がります。
そこに、私を迎え入れてくれる人が集まっています。 
仲間がそこにいて、温かく迎えてくれている感じです。 今までの恐怖の戦場とは違い、安心していられる場所です。
今度は安心と安らぎの涙が溢れました。

その安心した身体の感覚を十分に味わい、もう私は母との関係で覚えた周囲を見張り
危険を察知するような行為は必要ないのだと体感したのです。


このワークは私にとって、とても深く大きなエネルギーの変容のワークでした。
その後、人の行動や言葉を気にすることが減り、思考で自分を押さえるのではなく
心から安心して人の言動に翻弄されず、自分のことを信頼していられるようになりました。

もちろん、今までも自分を信じる事や人を気にしない自分ではあったけど、
もっともっと深いところから、きっと自分の意識では手が及ばないところから、
身体が覚えていた恐怖を解放したように思います。


この押し込めていたエネルギーは、自我が一生懸命に命を生きてきた証で、それに気づき癒してあげることで
もっと身体の力を抜いて生きていくことができるようのなるんですよね。

いや~っ、、、 母との関係で作られた心の問題は終わったと思っていましたが、
私の身体は深い傷をまだ持っていたんだなーっと驚きましたよ 😅苦笑

これでまた一つ、自分が柔軟に自分にも他者にも優しく、そして心が楽に生きていけるようになります☺

小さな違和感から、身体を感じて、ただそこに寄り添うだけで、身体は深い傷を教えてくれます。
それは思考で操作するのではなく、ただ身体の感覚と一緒にいるだけで、そこに導いてくれます。
気づきについていくだけです。
気づきからイメージが出てきたり、昔を思い出したり、言葉が出てきたり、様々な方法で自分に訴えてきます。

私もまだまだ、こんな自分と出逢って驚き、そしてワークで解放している途上です。
私と云う存在はいない。だけど、自我は在ります。
その自我を癒し収縮したエネルギーから解放することは、肥大した自我を小さくして、この世界のありのままを
楽しんでいくコツなんですよね✨

皆さんも、自分の心のつっかえや違和感を大事にしてくださいね。
その先に宝物が隠されていますよ。

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この記事を書いた人

ゲシュタルトワークショップや表現アートセラピーを使っったワークショップを開催。心理学と非二元の真理を使いながら『毎日を安心して暮らしていく自分を創る』をテーマに活動している。
ゲシュタルト療法においては、現在は日本ゲシュタルト療法学会の理事として、ファシリテーター育成委員と研修委員を務める。

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